レイモンド・カーヴァーを読む
さぁさぁさぁさぁ
今日こそは
全国の読書感想文に悶絶しておる学生諸君等のために
重い腰と夏休み終了との
ギリギリ間際の瀬戸際で繰り広げられます
デットヒートの行き着く先をお見せしますよ!
ぶっちゃけ北の夏休みはもう終わってるんだけどNE




真っ向勝負が好きだ。
小細工なし、反則なし、舌先三寸目くらましもなし。
宵越しの銭はもたねぇってもんだぜべらぼうめ( ・`з・´) 並みの潔さ。

でも
本音を言うと
不器用なだけ。
江戸っ子の金銭感覚だって、本当は営利目的でそうコントロールされていただけ。

とどのつまり
単なるバカなんだが
バカもバカなりに、魅惑の頭脳戦に憧れていたりはする。
蝶のように舞い、蜂のように刺す!とまではいかなくても
トリッキーに翻弄してみたい気もしないではない。

しかしその一方で
現実世界と虚構世界との間にある、隔絶という断崖を渡ると
途端に小細工だらけになる感も否めない。
だが、もし、それが意匠と呼ばれたなら
わたくしの人生に悔いはないだろう。

と、くだらない自省を曝け出しつつ
レイモンド・カーヴァーの話をしてみたい。

「してみたい」、とは
消極的であると取られてもおかしくない姿勢だ。
そして、大方の予想に反することなく、これは実に消極的試みである。
何せ、初見の拝謁を果たしたばかりである上に
真っ向勝負とは、縁もゆかりもへったくれもない
魅惑の頭脳戦尽くしであったのだから。

そう
わたくしは
じっくり一読したにも関わらず、オチが(あるかどうかさえ)わからないという
自尊心をくすぐられる作家レイモンド・カーヴァーに出会ってしまったのである。

無論、わたくしの灰色の脳細胞が力不足であるのだという説は
既に前振りど真ん中において説明済みであるのであるから
今更問い沙汰する気は毛頭ない。

さて
大前提として、カーヴァーは小説家であり、詩人でもある。
ゆえに、詩的な彩りを小説に添えることこそが彼の意匠であり、技なのだ。

私見であるが
詩というものには相性が存在する。

選び抜かれた言葉を賛美するのは簡単なことであるし
吟味に吟味を重ねた韻律に感心することもまた容易だ。

だけれども
詩は情報源でもなければ
解説書でもありはしない
作り手が持つ心象風景の、ただ一片を取り出し
手の込んだ脚色を施したもの、が詩であると思う。
分りやすさや、説明、意図への誘導といったものは滅多に介在させない。

ゆえに
その心象風景への共感や感情移入というものが
経験的側面や、思想的側面によって
読み手の中にそもそも存在しなかった場合
ある種、ピカソの絵をようとして理解できない人々が確かにこの世に存在するように
詩世界への、言語的意味以上の理解が出来ない人々の存在もまた自明ではないだろうか。

平たく言うならば
それこそが芸術なのだろうな、というのが漠然とした一般人の心理であると思う。

個人的に、国語のテストで
散文詩にわざわざ御大層な設問をつけてくるのが不可解で仕方ない。
「赤」を綺麗な色という者もあれば
派手で好ましくないという者もあり
りんごの色だと主張する者が居るであろうことと同じだと思うのである。
あるがままでいいじゃないか。
それはそれとしてそれなりにそこに存在し詩世界の彩を放っているのだから。
強いて言うのであれば、せいぜい感想文くらいにして欲しいものである。

そして
ここでようやくカーヴァーの話に戻るわけだが
まず彼の作品がテストで取り上げられようものなら
生徒たちは暴動を起こしてもいいかもしれない。
答えのない(あるいは無限の可能性を秘める)問題を出すとは何事だ!という風に。

現実的に考えて、そんな輩はいないだろうけれども
大学の研究室やら卒論やらでは人気がある作家のひとりらしい。
つまりそういったレベルで読み解かれるべき一品なのである。

まず特徴的なのが
ストンと終わってしまうことだ。あっけなく。

読み手の脳内では
完璧な舞台装置と役者陣が
いまや遅しと待ち構えているのにも関わらず
記憶が抜け落ちるかのように
まさしく正真正銘最高潮のクライマックスで見事に終わってしまうのだ。
ややもすると
すべての出来事は一切起こっていませんでしたという事態に見舞われかねず
壮絶な置いてけぼり感を味わうにはもってこいだ。
思わずページを繰ってしまうこと請け合い。

だが整合性のある結末がそもそもないわけではない。
カーヴァーは完成させた完全な作品から
彼の考える必要最低限だけで作品を構成させるべく
大胆かつ独自の観点で不要な部分を見事に切ってしまうのだ。

そうそう
「つまり、それは主人公たちの今後はご想像にお任せします系でしょ?」
というレベルのものではないことを明記したい。
さぁこれが今夜のディナーですよと料理を給仕されるものの
開かずの蓋が見事にそれを覆い隠し
我々は食べることはおろか、それが何なのかさえ知ることが出来ない類のものなのだから。

とは言うものの
文章のはしばしにヒントがないわけではない(らしい)。
それこそホンモノの推理小説ばりに灰色の脳細胞を働かせねばならないだろう。
嬉しいことに、稚拙な推理モノにありがちな
一読後は読む気も起きないというようなことはない。

ただひとつ問題を挙げるとするならば
猪突猛進江戸っ子印
おばかを自負するわたくしめ程度の頭では
ようとして結末が知れないままなわけでして

とりあえず、誰か全部解説してください。゚(゚´Д`゚)゚。
読めてないじゃんってのは言いっこなしなのだわよっ



本日の更新は
『健全な青少年を破壊する会』(悪影響的な意味で)の提供でお送りいたしました。

8月1日から書き出してコレですよ
読書感想文なんて大嫌いですよ
丸写しちまう気持ちがわからいでか!!!
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200808311906
血液型占いあなりゅしす
大学のレポート並みの労力使うってどゆこと@w@;
趣味なのに!マゾ?マゾなの!?




血液型占いは用法用量を守りましょう。

まず前提として
これに科学的根拠はない、のであります。
心理学に造詣が深い方や、ちょっこらかじったわたくしめのような輩は
どこかしこでそのように教わっていると思います。

ですので
今更、声高に言うことでもないのですが
物は試しに、こちらの「究極の血液型心理検査」をやってみてはいかがでしょうか?

血液型占いを信じる人というのは
実際に占いの結果が的中してしまった人なのだと思います。
「思い当たること」がいくつもいくつも積み重なれば
「血液型占いは正しい」という認識が強化され
確固たる地位を築く結果となります。

問題になってくるのは
血液型占いの弊害、というよりは
人類の叡智がもたらす愚直さなのかもしれません。

私たちは、レッテル・偏見を持ちがちで
まったく持っていないという人のほうが珍しいくらい、そこらじゅうに溢れています。
厄介なのは、こういった個人レベルの思考が時に社会通念となり、
ステレオタイプとなって、多大な被害をもたらす可能性を秘めていることです。
(*北海道は牛だらけってわけじゃないぞ!でも、乳製品は格別に美味しいぞ!)

ラベリング理論によると
レッテルの形成は、個人の特性から作られるのではなく
他者の反応・評価から作られており
この他者たる人々は、秩序を維持するために必要悪としてこれを設定する場合もある。
とかいう陰謀めいた話もあります(*´∀`*)ややこい

また、そういったレッテルに引きずられて
本来は関係ないはずの他の側面までもが批判の対象となることさえあります。
(ハロー効果)

上記のような事柄から
私たちは血液型占いを間違った用途で使ってしまいかねません。
娯楽と有意義に付き合っていく話は呪いの構造論に詳しかったりします+。゚(o゚д゚o)゚。+

もうちょっと続くかも、です。
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200804041933
「うちはまにあってますからっ!」 (バタンッッ)
哲学として抽出される宗教教義は、信仰を持たない者にとっても有効な概念だと思う。




人間は不幸を見つける天才である。
故に発展する。

不幸であるということは、辛い。
死よりも辛い(と思わせる)ことだってある。
不幸は百害あって一利なし
おいでませ深淵の絶望へ!といった展開も少なくない。
たいていの場合においては。

しかし
パンドラの底に希望(あるいは絶望)が残ったように
人間は不幸であるからこそ
不幸を乗り越える手段を講じることができる。

不幸は、不便と置き換えてもいい。
疾病ならば、治療法を
犯罪ならば、法という名の秩序を
悪とおぼしき抑圧には、それに比類する己の正義を

これがあるからこそ、文明は発展する。


では
そういった不幸からの脱出を経て得てきた高度な文明は
果たして、本当に我々にとっての幸福であると言えるだろうか?
人類誕生よりおよそ500万年、
真に我々すべてが幸福であったためしがあったのだろうか?

人間は、常により良い幸福に近づこうとする。
または、何かしらの理想像を持っている。
そして、
「もし〜〜だったなら(今よりも)幸せになれる」
というようなことを考える。

お金があれば、幸せに
健康であれば、幸せに
夢が叶えば、幸せに

実際問題
物質的結果はともかくとして
幸せになる保障なんて、どこにもない。
それでも、希望が成就した後の世界を理想郷化せずにはいられない
我々は、そういう生き物なのである。

アヴァロンでもジパングでも桃源郷でもネバーランドでも
世界中に理想郷伝説が存在しているのは
まさに人間の本質の具現化に他ならないと言っても過言ではないだろう。

逆説的に言えば
理想郷がある限り
この世から不幸が消え去ることはない。
だからこそ、我々は不幸を見つける天才なのである。



以上、なんとなく煩悩について考えてみた。
でした。まる。

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200803192357
ひとひらの悪意、またの名を悪魔の一押し
純然たる悪とは何か?

法に反する行動
命を賭して争われる武力行為
絶対的権力による圧政、虐殺
あるいは自覚の有無を問わない環境破壊

想定されるあらゆる場面に、

害成す者と
被る者とが居る

たったひとりで悪が成されることはない。
あるのは、利害関係の発生しうる土壌である。

貴方の生活に根ざしている悪は、

嘘の隠ぺいであるかもしれない
衝動的暴力かもしれない
うらみつらみによる陰口かもしれない
自己保身のための排他主義かもしれない

どこにでも害成す者が居て
誰しもそれを被ってしまう可能性がある。
もちろん、逆の立場に翻ることも容易にできる。
どちらが悪であるか?
当事者にとって、これほど無意味な問いはない。

私たちは、ひとひらの悪意によって突き動かされているようなものだ。
それはまるでドミノのように
瞬く間に連鎖し、そして
膨張する。

そう
まるで最初の一押しが、悪魔の所業であるかのように
深く根ざした混沌たる原因は、霞に隠れたっきりで、ようとして見えやしない。


ネット上でたまに見かける炎上や議論を見ると
悪の最小単位たるひとひらが、やがて増長してゆく様がわかりやすく見て取れる。

扇動する者
それに迎合して積極的に攻撃する者
確固たる意志はないのに参加する愉快犯
それらに敵対するもう一方と
そして、ただ見ているだけの傍観者たち

このような、ひとひらの悪意の結集を、まざまざと見せつけられると
嫌悪感をもよおす人々が必ず居る。

インターネットをゴミの山だとか
匿名掲示板を便所のらくがきと言い表す人が居たが
実はなかなか的を得ている発言だと思う。

匿名性の笠を着ているから出来るわけで、
名乗る必要があったならば、
世間様が嫌悪するような事象が起こるはずがない。

だが待って欲しい
嫌悪すべき部分は、本当にそこだろうか?
もっと他にキモチワルイ部分はないだろうか?

悪意の量や、その本質たる土壌は
たとえネットであろうとリアルであろうと変わらない。
単にネットがひけらかしやすい場であったというだけだ。

真に善なる生き物なら、たとえ匿名であったとしても、ああはならない。
本来普通に備わってしまっている悪意を、ぽっと取り出しているようなものなのだ。

だとすると
それに嫌悪する人々は
見慣れない悪意の結集に、びっくりしているということになる。
何も今更驚くようなことでもないのに。
それでは免疫がなさすぎるというものだ。
それとも、もしかして、ひょっとすると、まるっきりポーズであるという線も拭えないのかしら?

インターネットは、有象無象の権化であり
玉石混交には違いないけれど
決して、悪役を買って出ているわけではない。
それを扱う人間が、利害関係の坩堝(るつぼ)から永劫に出られないというだけである。



無論、純然たる善意も存在すると思うが
それはまた別のおはなし。
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200803120538
腐った花瓶の水底に 沈んだままのカエルちゃん いっそ一思いに殺してくれようか
ユーモアの分析はカエルの解剖のようなものだ。
興味を持つ人はほとんどいないし、カエルはそのために死ぬ。
                     E.B.ホワイト(米・小説家)




どうか殺とか死とか解剖などという単語だけに注視して、
物騒だわ。帰りましょうか?そうしましょうよ?閑古鳥さんコンニチハ
なんて軽率な判断でもって立ち去られませぬよう、切にお願い申し上げます。

(本日の更新は、この期に及んでサイトの説明を兼ねております)

時たま耽美的妄想作文(ただの下ネタ)を繰り出して、ひとり悦に入ってたりしますが
すべからく健全真っ当モラル溢れる倫理の僕(しもべ)ですので
心置きなくご安心あそばしませっ!100人乗ってもダイジョーブ!

(このエラい長い前置きが、記事の全長を狂わすわけです)

さて本題に入りますが
よく、「説明の必要なギャグはギャグじゃない」ってなことが言われたりします。
だいたい同じような意味合いの格言を、表題に挙げてみました。

お恥ずかしながら、拙サイトも「お笑い系エッセイブログ」を自認するに至りましたので
(ポロリはないけど、ダークサイドバージョンの記事もあるよ? exこの記事のタイトル)
この場を借りて、ご報告にあずかりたいと思います。

そういえば、一点だけ注意点があります。
私の日本語は、厳密に言うと正しくないことがあります。

生粋の日本人です。
これでもかこれでもか、と辞書を引き
類義語検索やら、ぐーぐる先生を過労死させる勢いで活用し
言葉の用法用量をきっちりみっちり理解した上で、嘘日本語を使用することがあります。

まことしやかに囁きますので、いちいち注釈なぞ入れません。
むしろそれに気付いたなら、是非その部分で笑っていただきたいのです。
よもやこんなところで、国語の勉強をやってやろうじゃないの、と
考えるような猛者が居るとは、ゆめゆめ思っておりませんが
念のため、注意書きとして言及させて頂いた次第です。
こんなことを言ってるそばから、ズレた修辞を埋め込んでますけどね(*´∀`*)

(でも、語彙くらいなら吸い取れる可能性はあります。わずかに)

もうひとつ
物書きとして反則すれっすれな感が否めないばかりか
前述以上に、カエルを殺すことになりかねない話を明記します。
私が書く1記事、1記事それぞれに、
その内部だけで完結するギミックを仕込むことがあります。
言葉の謎掛けだったり、内容のリンクだったり、検索しないとわからないことだったりします。
気付いても気付かなくても、内容そのものに変化はございません。
でももし、何かの仕掛けに気付いたならば、少しだけ話に深みが増すかもしれません。
すべては読み手に委ねられた事項であり、
書き手はこっそり遊興に勤しむ。
ただ、それだけのこと。
です。

たとえ一時のことであったとしても
読み手にとって有意義な時間となりますよう
渾身の力を込めて書き上げてゆく所存です。
まだまだ至らぬ点も多々あるかと思いますが、もしお目に留まりましたならば
是非、ご贔屓のほどをよろしくお願いいたします。

…………。
…………。

(やっぱり、ただのカエルじゃないですか。中に誰もいませんよ〜〜)

とか言われないようにね、しないとね、命がいくつあってもね
ァ '`,、'`,、(*゚∀゚*)'`,、'`,、

…………はぁorz


追記
ホワイト氏(『シャーロットの贈り物』の人でいいのだろうか?)による発言は、
どこぞの格言サイトから拾ってきたものです。
つまり、出典確証はない(*´∀`*)
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200803030719
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